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「アルゼンチンから来た怪物」死亡

移籍と訃報ばっかりで嫌になりますね、ここのブログは。
今日は駄目押し。「あの」Mat-Boy(ARG) 大往生。

SE FUE UN CAMPEON
Murió Mat Boy
A los 28 años, tras sufrir un cólico, murió Mat Boy, uno de los grandes caballos de la historia de nuestro país. Alejado desde 2000 de su función de padrillo en el haras La Biznaga, el hijo de Matún y Boyera mantiene actualmente un lugar entre los principales abuelos maternos, pero los mejores recuerdos están asociados a su campaña de pistas, donde brilló en la Argentina y en los Estados Unidos.(La Nacion)

アルゼンチンが誇る歴史的名馬 Mat-Boy が繋養先のラ・ビスナガ牧場で
セン痛を起こし死亡した。28歳だった。

通算成績1013戦9勝(亜で710戦7勝、米で3戦2勝)。
G1アルゼンチン共和国大賞(ダ2500m)、G1オノール大賞(ダ3000m)、
G2コンパラシオン賞(ダ2500m)、G2チャカブコ賞(ダ2500m)、
G1ワイドナーH@ハイアリア(ダ1+1/4マイル)、
G1ガルフストリームパークH(ダ1+1/4マイル)勝ち。
1983年のアルゼンチン年度代表馬。

圧倒的なスピードと驚異的なスタミナで「フェノメノ・デ・ピスタス(トラックの化け物)」と
呼ばれた。「殺人的」と称される程の情け容赦のない勝ちっぷりが競馬界を震撼とさせる。
2着につけた着差が圧巻で、重賞初挑戦となったコンパラシオン賞が10馬身、次なる
アルゼンチン共和国大賞が13馬身、チャカブコ賞が17馬身、そして国内最終走となった
オノール大賞が極めつけの28馬身。殺し屋の真骨頂だった。
その後、満を持して米国へ。現代南米馬が行う、転厩する形の「移籍」ではなく
馬主、調教師、騎手ともに地元陣営のまま挑戦した純粋な形の「遠征」である。
向かった先はフロリダ。そこでも国内と変わりない走りを披露、最初のレースとなった
ワイドナーHをレコード時計で制する。
レース後、米国競馬関係者から囁かれたドーピング疑惑、厩舎への不審者侵入騒動などが
メディアを賑わせたが、2戦目のガルフストリームパークHでは有無を言わせぬ快走劇を見せ、
それらの雑音を振り払う事に成功した。1分59秒のトラックレコード、2着に12馬身差をつける
ド級のパフォーマンスだった。が、しかし。。
好事魔多し。3戦目のパンアメリカンHに熱発をおして出走したことが仇となり、
再びトラックにその雄姿を見せる事が叶わなくなったのである。
(一部加筆、修正しました。)

引退後はラ・ビスナガ牧場で種牡馬とし活躍。BMSとしても高評価を得ている。

代表産駒
Distracted Boy ホアキン・V・ゴンサレス大賞(ダ1600m)
Franco Boy ダルド・ロチャ大賞(ダ2400m)
Fanatic Boy ナシオナル大賞(ダ2500m)、グラン・クリテリウム大賞(芝1600m)
El Trenzador グランクリテリウム大賞(芝1600m)
Speed Boy ドスミル・ギネアス(芝1600m)
Choice Girl セレクシオン・デ・ポトランカス(ダ2000m)
Mat Day 7月9日大賞(芝1600m)←追記
Tutor Girl エストレージャス・ディスタフ(芝2000m)←追記
Festin ジョッキークラブGC(ダ1+1/4マイル)、オークローンH(ダ1+1/8マイル)

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優駿だったかスポーツ新聞だったか忘れましたが、この馬が米国で活躍し始めた時
「アルゼンチンから来た怪物、米国を席巻」と、そんな見出しの記事が載って、
未だ海外競馬の右も左も知らない頃だったんですが、「へー、アルゼンチンの競馬って
レベル高いんだー」そんな新鮮な感想を持った記憶があります。
それが南米競馬に対する初めての関心だったのでしょうか。
そう考えると、この馬には相当の恩義があるんですね。。


ありがとう、フェノメノ。安らかに。

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Comments

あとは GP 9 de Julio の Mat Day ですかね。
http://www.pedigreequery.com/mat+day

レース名は覚えてませんが、インフルエンザ(?)に感染して咳と発熱の症状を
見せていたのに出走を強行し、途中からズルズル下がって数十馬身離される大敗。
体調回復せずそのまま引退したはずです。いかにもラテン的結末・・・

ウルグアイ復活効果で Procopio (DP=0-0-2-2-0(4) DI=0.33 CD=-0.50)あたりが
土着父系を継いでクレタラと思うのは見果てぬ夢か。

Posted by: GURU@偏屈爺 | March 09, 2007 at 11:03 PM

タレコミ感謝です。80年代後期90年代初期だとG1が今より大量に
ありましたから、未だ他にもいるかもしれませんね。
LBさんにお土産で頂いた99年度版「レジストロ・デ・パドリージョス」にも
目を通したんですが、ちょっと時代がズレていて Mat-Boy 関連の
記事は見つけられませんでした。

敗戦はラストランでしたか。
背景はちょっと違いますが、Forli の最後とも通じるものが
ありますかね。
どれだけ暴れるんだろうこの馬、と思わせておいてあっさり
フェードアウトしちゃう辺り。

直系と言えばラティノに出る予定の My Happiness に注目してます。
幸か不幸か、今年は誰が勝ってもおかしくないメンバーになりましたし(笑)

Posted by: ふてき | March 09, 2007 at 11:38 PM

80年代アルゼンチン最強馬は逝きましたか。
個人的には最後の南米馬らしいアルゼンチンの歴史的名馬だったと思ってます。オールドファンが喜びそうな血統クロスですしね。

G1馬は
Tutor Girl (エストレリャス・ディスタス)
もそうですね。もうG1馬はこれでおしまいだと思います。
それとMaster Boy はラプラタのポトリリョス勝ち馬でG1馬ではありません。
あとマットボーイのオノール大賞は38馬身差ではなく、28馬身差が正しいです。
3頭立ての一頭落馬で、実質2頭のマッチレースとなった競走です。マットボーイのあまりの強さに
出走馬が集まらなかったのでしょう。近代競馬らしからの圧倒的な破壊力を持ったレースぶり、
映像を見てみたいですね~~。
アメリカでの1敗は分からないので調べておきます。

ラティノは・・・予想不可能です(笑)血統ならばポトリフラッシュを応援したいかな。
ウルグアイ産馬のナシュア系・・・入着も厳しいそうですが、移動の利&ダートコースということで、どうにか!

Posted by: Lucky Boy | March 10, 2007 at 12:28 AM

フォロー感謝!>LBさん
一通り修正しましたのでご確認ください。
ラストランはパンアメリカンHだったようです。
ここの下のほうに記述が
http://www.revistapalermo.com.ar/notas/valdivieso16.htm
というか、関連記事&写真が大量にある感じ!
http://www.revistapalermo.com.ar/notas/valdivieso0.htm
今サーバが重いんで、日をずらして全記事内容確認してみます。
一部を読んだだけですが、調教師&騎手(バルディ)が
そのままアメリカに乗り込んでいたんですね。
ガルフストリームパークハンデは12馬身差!
功を焦って大魚を逃がしたのかも。。返す返すも残念。

Posted by: ふてき | March 10, 2007 at 01:11 AM

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